笑点で長年座布団運びをしている、タレントの山田たかお(山田隆夫)さんですが、彼の年収・資産の多くが笑点以外のマンションオーナーと講演会の収入で、その金額がスゴいと話題になっています。
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山田たかお(山田隆夫)
1966年フジテレビ「ちびっこのどじまん」でデビュー。1970年日本テレビ「笑点」ちびっ子大喜利コーナーにレギュラー出演。
1973年には「ずうとるび」のメンバーとして歌手デビューし、第26回NHK「紅白歌合戦」に出場する。1984年より日本テレビ「笑点」大喜利の6代目座布団運び役を務める。
TBS「ズバリ言うわよ!」、NHK「ゆうどきネットワーク」や、舞台「お初天神」、映画「太陽の帝国」に起用される。ハーベイ・ボール・ワールドスマイル財団日本支部副会長、公益社団法人虹の会理事、一般社団法人日本作家クラブ常任理事として活動。
2012年著書「ぼくに運が巡ってくる55の理由」「山田クンとざぶとん」を出版。
特技はプロボクシングC級ライセンス、大型自動車免許。趣味はゴルフ、卓球(二段)。
山田たかお(隆夫)の婚姻歴・家族構成
山田隆夫さんの婚姻歴は2回で2人の「ケイコさん」と結婚を経験して子供はそれぞれ2人ずつ、子供は全員で4人授かっています。
最初に結婚したのは山田隆夫さんがアイドルとして活躍していた1977年頃で
お相手は、清純派女優として活躍していた吉川桂子さん。
吉川圭子さんとの間には、2人の娘さんを授かりますが、のちに離婚しています。
離婚に伴って、山田隆夫さんは多額の慰謝料を支払いで一文無しになったと語っています。
2度目の結婚は、一般女性の「恵子さん」です。
現在の奥さんとの間には、息子と娘が1人ずついらしゃいますが
息子の太一さんは、父・山田隆夫さんのマネジメントをしています。
山田たかお(隆夫)が36年間の座布団運びが続く理由は笑顔!
山田たかおさん(63)は子供のときからそうだった。のど自慢に飛び入り参加で大ウケ。番組のご褒美で作ったグループ「ずうとるび」が大人気。
そして、ご存じ『笑点』の座布団運びまで、笑いを振りまき、家族やファン、視聴者といった周囲の人たちを楽しませてきた。五代目・三遊亭圓楽(70)や桂歌丸(享年81)からもかわいがられ、一目置かれたのもこの笑顔があったからこそ。
そんな彼が直面した危機。ずうとるび脱退と離婚を経て無一文になった山田くんを救ったのは、一本の電話だったという。ずうとるび結成から今までの、山田くんの人生を辿ろう。
幼少期に、「劇団ひまわり」に入団。その後中学2年生のとき、日本テレビからオファーが届く。じつは座布団運びよりもずっと前、これが山田くんと『笑点』との出合いだった。
「幼いころから落語が好きで、本を読んだりして勉強もしてました。それで、ある番組で落語『寿限無』を披露したところ、それを見たある放送作家さんが『こいつだ!』ってひらめいたようで。僕と、それに同世代の子供を集めた『ちびっ子大喜利』が始まったんです」
当時、『笑点』の司会は三波伸介(享年52)。当初のちびっ子大喜利のメンバーには山田くんのほか、キャロライン洋子(57)や林寛子(60)の姿も。
「それから、ドラマで仲よくなった郷ひろみくん(64)にお願いして『紅白歌のベストテン』という歌番組の収録現場を見学させてもらったことがあって。『キャーッ、ひろみく~ん』って、すごい熱狂ぶり。それ見てたら『いいな、俺もこれやろう、アイドルになろう』って思っちゃったんですよね」
ちびっ子大喜利も、座布団が10枚たまるとご褒美がもらえる仕組み。山田くんは「レコードを出したい」とリクエストし、見事10枚の座布団を獲得した。
「アイドル全盛時代でしたから。どうせなら、ちびっ子大喜利の男子でグループを組もう、ってことになったんです」
こうして生まれたのが、4人組のアイドルグループ「ずうとるび」だった。デビュー曲は山田くん作詞・作曲の『透明人間』。当初から、ずうとるび人気はものすごかった。各局の歌番組、バラエティ番組で重宝され、週11本のレギュラーを抱えるまでに。
「紅白? 出られるなんて夢にも思ってませんでした。自分以上に両親が喜んでくれたのが、とってもうれしかった」
しかし、ずうとるびブームのピークは、まさにその紅白だった。彼らの人気は徐々に停滞気味に。同時期、山田くんには私生活でも大きな変化が……。それは人生最初の結婚。1977年、山田くん21歳のときだ。また、メンバー間には音楽性の違いによる軋轢も生じ始め、コミック路線を進みたい山田くんと、歌って踊れるアイドルを目指したいほかのメンバー。そこで、山田くんは脱退を決意。
「やっぱり僕は、どこまでも人を楽しくさせたい、明るくさせたい、笑顔にしたいっていう思いが強くてね。普通のアイドルじゃ、面白いと思えなかった。それに、当時の奥さんの親類とも、どうにも折り合いが悪くて。芸能界引退まで迫られてしまって……離婚することになったんです」
慰謝料と養育費を払い、無一文に。家族を失うと同時に、仕事もどんどんなくなっていった。そんな窮地に1本の電話が入る。かけてきたのは旧知の『笑点』のプロデューサー。用件はただ1つ。
「山田、お前、座布団運びやるか?」
即答した。
「やります、やらせてください。なんでもやりますから」
こうして1984年。「座布団運びの山田くん」は誕生した。その日から36年間、山田くんは家庭用よりはふた回りも大きく重い座布団を運び続けている。
「最初の座布団を誰に持っていったかは、もう忘れちゃった(苦笑)。これまでに何枚、運んだかも……、まあ、申請さえすれば、間違いなくギネス記録だと思いますよ」
山あり谷ありの中で縁が繋いだ“座布団運び”を、これからも笑顔でまっとうすることだろう。
「女性自身」2020年4月7日号 掲載
山田たかお(隆夫)の年収・資産は笑点以外のマンションオーナーと講演会収入がスゴい!
座布団運びで有名な山田たかお(隆夫)さんの場合、年収2000~3000万円と言われています。
10歳のころから子役としてアイドルとして芸能界で活躍している山田隆夫さんは、芸歴でいうと53年の大ベテランで現笑点の中でも古株の先輩陣のお一人です。
芸歴や人気に伴って高額になりがちな芸能界の収入ですが、山田隆夫さんは座布団を運ぶだけでこの年収ではありません。
巷では座布団運びの収入が1枚運ぶごとに5000円とか『笑点』1回分の収録が10万円など様々な情報もありますが、噂はさておき
笑点メンバーの師匠たちも笑点のギャラよりも他の仕事の収入が稼げることは有名で
笑点に出ていることの知名度で自身の講演会や一門の落語会にお客が殺到するのだそうで、
皆さん笑点はPRの場で全国各地の講演会収入が大きいそうです。
さらに山田たかおさんのスゴいところがマンションの資産とその収入です。
たまたま開発前の土地を買ってマンションにしたところ、商業施設が出来上がり、駅から近いこともあって一等地として人気の物件で、しかもマンションを2棟所持していて、笑点の10倍の年収になるとも言われています。
山田たかおの極貧幼少期・座布団運びでマンションオーナーになるまで
1956年、東京の下町・深川に、6人きょうだいの末っ子として生まれた。家は木工所を営んでいた。職人を何十人も抱え、家にはお手伝いさんが3人も。山田くんもそんな裕福な家に生を受けたはずだった。
「僕が生まれる直前に親が詐欺に遭っちゃって。いま、地下鉄の半蔵門線の住吉駅、あるでしょ。あそこがまさに僕のうちだったそうです。もし、いまあったら、すごい財産ですよ。それに、埼玉の三郷には500坪の資材置き場も。それ、ぜ~んぶ取られちゃった」
山田くんには赤ちゃん時代の写真が1枚もない。生まれてきた愛息の記念撮影もできないほど、家はもう貧しかった。
「父は生真面目、母は優しかった。でも、口を開けば『たかお、申し訳ないね、ごめんね』とばかり言ってました。食べるものにも困るような生活で、家族はいつも心配事を抱えて、心の底から笑うことができない、そんな家庭でした」
山田くんはそんな家族を「思いっきり笑わせてあげたい」と、いつも思っていた。チャンスが巡ってきたのは小学4年生のとき。当時、子供たちに大人気だったテレビ番組『日清ちびっこのどじまん』の公開収録が行われたのだ。同級生たち皆と観覧に訪れると、出演予定の小学生が1人、風邪でドタキャンしていた。
「すごい人気番組で、厳しいオーディションがあって、本来なら後々歌手になるような、歌のうまい子しか出られない。だけど、代役がいなかったんでしょう。司会の大村崑さん(88)が客席に向かって『誰か、歌いたい人?』って、その場で募りはじめたんですよね」
観覧席の小学生全員が「ハイ、ハイ!」と手を挙げる。でも、山田くんは挙手もそこそこに勝手に舞台によじ登り、大声でこう告げた。
「僕が歌います!」
物怖じしない性格を買われ、そのまま飛び入り出演。番組テーマ曲『ちびっこマーチ』を歌って、なんとその週のチャンピオンに。
「優勝商品はインスタントラーメン半年分。家に持ち帰ったら、父も母も、それに姉や兄たちもみんな大喜び。それまで見たこともないような笑顔で。それを見てたら、僕も本当にうれしくって」
ここから、山田くんの運命が動き出す。番組を偶然見ていた脚本家・花登筺(享年55)に見いだされ、山田くんは大御所の推薦で「劇団ひまわり」に入団。生来の人懐っこい性格で、名演出家やプロデューサー、大物俳優たちにもかわいがられ、子役として引っ張りだこになっていった。
その後も多くの仕事相手や噺家の師匠たちに可愛がられ続けた理由はやはり、山田くんの笑顔と人柄によるだろう。そんな山田くん、じつは今、不動産業も営んでいる。2棟の賃貸マンション購入の原資になったのは、山田くんが最初のずうとるび時代、両親に渡していたお小遣いだという。
「毎月5万円ずつですけど、爪に火をともす思いで育ててくれた親に、感謝の気持ちで渡していました。でも、親は一切使わずに、僕のために貯金してくれていたんです」
優しい心の連鎖が、山田くんの笑顔を形作っている――。
「女性自身」2020年4月7日号 掲載
山田たかお(隆夫)の講演会収入
山田たかおさんのもう一つの収入源が全国各地で行われる講演会活動です。
講演ジャンル
・人生経験・体験談
・ライフスタイル健康・医学
・芸能漫才・落語
主な講演会タイトル
・「タイトルスマイルをあなたに」
・「笑いと健康」
・「笑街楽集」
一回の講演料の目安は、交通費・消費税別で50万円だそうです。
山田たかおさんは自身の個人事務所所属のため
月に2回の公演だけでも年間1200万円になります。