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フォークダンスde成子坂が2人とも亡くなっていた・死因や時期はいつ?

2020年2月27日の報道で、元「フォークダンスDE成子坂」の桶田敬太郎(おけだ・けいたろう)さんが、昨年11月23日に亡くなっていたことが分かりました。

相方の村田渚(むらたなぎさ)さんは35歳の若さで2006年にお亡くなりになっていましたが今回の桶田さんの訃報記事で、はじめてお二人共亡くなった事を知った人も多く、お二人の死因や時期はいつだったのでしょうか。

「フォークダンスde成子坂」とは

メンバー :桶田敬太郎と村田渚
別名: フォーク、成子坂
結成年 :1989年
解散年:2000年
事務所: ホリプロ
活動時期 :1989年 – 1999年12月31日
出身: 関町立関中学校出身
出会い: 中学校の同級生
芸種: コント、漫才
ネタ作成者: 両者
過去の代表番組 :GAHAHAキング 、ボキャブラ天国、爆笑オンエアバトルなど

 

村田渚さんと桶田敬太郎さんで構成されたコンビの『フォークダンスde成子坂』は当時の人気番組だった『ボキャブラ天国』にレギュラー出演して、ネプチューンや爆笑問題と同じくらいの人気芸人でした。

2人は、三重県の関中学校の同級生でその頃からコンビを組み

高校3年の夏に、「若手の無名芸人たちのドキュメント番組」を観て、自分たちのほうが面白いと本格的に芸人を目指し

1994年には、爆笑問題に次ぐ、「GAHAHAキング」10週勝ち抜き2代目チャンピオンに。その後、『ボキャブラ天国』にレギュラー出演。

1999年12月末日に解散しています。

『ボキャブラ天国』に出演していた芸人たちは、こぞってフォークダンスDE成子坂の才能を絶賛しています。

コンビそれぞれが亡くなった当時、テレビやラジオでその多くがコメントを残している。村田が亡くなった際に、

爆笑問題の太田光は「あいつらは天才過ぎた。天才過ぎたゆえに売れなかった」と明かし

くりぃむしちゅー・上田晋也は「僕ら世代のトップランナーだった。センセーショナルだった」と回想。

“ピコ太郎”でブレークした元底ぬけAIR-LINEの古坂大魔王は村田について、「この人といたら、なんでもボケられる。唯一無二」と述懐。

また、桶田が亡くなってから、元U-turn・土田晃之は「センスがやっぱすごかった」と口にしています。

ダウンタウン・松本人志さえもフォークダンスDE成子坂の実力を認めていたそうです。

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「フォークダンスde成子坂」の村田渚さんが亡くなっていた・死因や時期はいつ?

フォークダンスDE成子坂のツッコミとして、多くの芸人たちから一目置かれていた村田さんは、『ボキャブラ天国』の終了後、

コンビを解散し、芸人として活動を続けるも、再びお笑い界で輝くことがないまま2006年11月11日に、くも膜下出血で35歳で亡くなっています。

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「フォークダンスde成子坂」を解散後のふたり

そんな若手の注目株だったはずのフォークダンスDE成子坂は、1999年12月にコンビを解散してしまいます。

その後、村田さんは所属事務所を離れてフリーのピン芸人として活動したり

2005年~2006年は、ボケ担当の松丘 慎吾 さんとお笑いコンビ・鼻エンジンを結成し、ソニー・ミュージックアーティスツに所属していましたが翌年11月に35歳という若さで急死してしまいました。

一方の桶田さんは、コンビ解散後はバンド「The 3cm〜」のボーカルとして音楽活動に専念していましたが、そのコント作りの才能を生かさない手はないと周りに勧められ2004年から10年ほどの間、バラエティー番組を中心とした放送作家・構成作家として裏方の仕事をしていましたが、2014年にはピン芸人としての活動も再開していたのですが、その5年後に彼もまた天国に逝ってしまいました。

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「フォークダンスde成子坂」を解散理由は?

そんなフォークダンスDE成子坂の解散理由は以下の記事で解説されていました。

コンビの解散について、桶田本人が自身のポッドキャストで言及している。桶田によると、決定的とまでは言えない原因がいくつも重なったという。
次の七つが主なところだ。

・桶田が自分たちのお笑いにニーズがないと感じていた
・営業先で調子に乗って桶田をイジってくる村田に何度か頭にきていた
・村田と話し合いをする機会がなかった
・桶田と村田のお笑いに対するこだわりが違った
・再起を図ったライブ「自縛シリーズ」の途中で突如マネジャーが変わるなど事務所に対する不信感が募った
・コンビの解散を誰も止めようとする人がいなかった
・桶田に相談できる先輩がいなかった

コンビ最後の営業の日が決まり、その数日前にマネジャーと3人で最終確認の場が設けられた。
マネジャーから「(解散で)いいんですね?」と話を振られると、
それまでだんまりを決め込んでいた村田が「ホンマもう頭下げるわ。考え直してくれ!」と声を上げた。

戸惑いながら「……オレ、表出るタイプじゃないし」と桶田が口を開くと、間髪入れずに村田が「いや桶田は出る側の人やから!」と返した。

しかし、桶田は今さら後戻りできなかった。「無理や」としか言えなかった。
今生の別れではなく、一つの区切りだと思っていた。
それだけに「もう少し早いタイミングで言ってくれてたら」という気持ちもあった。
最後の営業が終わり、桶田はいつも通り車で村田を送って「じゃあな、お疲れ」とあいさつを交わして別れた。これが最後の言葉になった。

出典元:with news

 

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「フォークダンスde成子坂」の桶田敬太郎さんが亡くなっていた・死因や時期はいつ?

2020年2月27日の報道で元フォークダンスDE成子坂の桶田敬太郎さんが、昨年11月23日に亡くなっていたことがわかりました。

桶田敬太郎さんが取締役を務めていた芸能・制作プロダクションの「MR」ホームページに掲載された訃報の全文は次の通りです。

「弊社取締役 桶田敬太郎は、広く創作活動に勤しんで参りましたが、昨年11月23日に病により永眠いたしました。

なお、葬儀と七七日法要は故人の遺志により近親者のみで相済ませました。また、お別れの会などの予定はございません。ここに故人が生前中賜りましたご厚誼に心より御礼申し上げます」

出典元:MRホームページ

葬儀・告別式、七七日法要は桶田敬太郎さんの遺志により、近親者のみで済ませたという。

お別れの会なども予定されていないそうで、詳細な死因などは公表されていませんでした。

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「フォークダンスDE成子坂」のお2人の訃報にネットの声!

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