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【本人生音声】岡村隆史のオールナイトニッポン炎上と謝罪内容!矢部の公開説教が話題!

お笑いコンビ、ナインティナインの岡村隆史(49)が4月24日未明放送の「ナインティナイン岡村隆史のオールナイトニッポン」で風俗関連で不適切な発言をして炎上した時の音声内容、翌週オールナイトニッポンでの本人の生声での謝罪放送、更に相方の矢部浩之さんからの公開説教の音声が話題になっています。

【本人生音声】岡村隆史のオールナイトニッポン炎上・放送内容!

「ナインティナイン岡村隆史のオールナイトニッポン」で不適切な発言をして炎上し

マスコミ各社に報道された記事内容。

お笑いコンビ、ナインティナインの岡村隆史(49)は24日未明放送の「ナインティナイン岡村隆史のオールナイトニッポン」で、新型コロナウイルスの感染拡大を巡り、「コロナが終息したら絶対面白いことがある」と発言。続けて「コロナが明けたら、なかなかのかわいい人が、美人さんがお嬢(風俗嬢)やります」「短時間でお金を稼がないと苦しいですから」などと話した。

吉本興業は29日、公式サイトを更新し、岡村の発言について「現下の新型コロナ禍で仕事に対する不安を覚えている方々に不快な思いをさせてしまう不適切な発言」とし、岡村と面談したことを報告した。

面談での岡村は「深く反省」しているとし、岡村のコメントを掲載。発言をわび、「世の中の状況を考えず、また苦しい立場におられる方に対して大変不適切な発言だったと深く反省しております」としている。

出典元:iza

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【本人生音声】岡村隆史のオールナイトニッポンでの謝罪放送内容!矢部の公開説教が話題!

4月30日放送の深夜「ナインティナイン岡村隆史のオールナイトニッポン」のゲストに相方の矢部浩之さんを招いて、社会的に問題視された不適切発言に本人からの謝罪と

矢部浩之さんからの公開説教が配信されて話題になっています。

(放送動画時間帯)
0:00:07~ 風俗発言について謝罪
0:21:07~ 矢部浩之が公開説教
1:18:23~3分間・別コーナー(3時のヒロイン担当)
1:21:27~通常のハガキコーナーを開始

「ナインティナイン岡村隆史のオールナイトニッポン」で不適切な発言をして炎上し

翌週の謝罪と相方の矢部浩之さんの公開説教を週刊文春が報道した記事内容。

「こんばんは、岡村隆史です。先週の岡村隆史のオールナイトニッポンで僕の発言によってたくさんの人たち、特に女性のみなさんに不快感を与えたことついて、まずは心から謝罪させていただきます。本当に申し訳ございませんでした」

4月30日に放送されたラジオ番組「ナインティナイン岡村隆史のオールナイトニッポン」(ニッポン放送)。“不適切発言”で大炎上したナインティナインの岡村隆史(49)はこう謝罪した。

事の発端は、先週4月23日に放送された同ラジオ番組での岡村の発言だ。「コロナが明けたら美人さんが風俗嬢やります」と新型コロナウイルスによって生活苦になった女性が風俗店で勤務するという趣旨の発言をし、波紋を呼んだのだ。

この“不適切発言”に対し、岡村は冒頭のように番組開始から約30分に渡り謝罪を続けていた。そこで「やったなお前、やってもうたな。ナインティナインも緊急事態や」と突然スタジオに入ってきたのが相方の矢部浩之(48)だった。矢部の“公開説教”は1時間20分も続いたのだった。

「やっぱり今日は公開説教をしようと思ってね。正直この、コンビそれぞれあるけども、まあ、リスナーの方は感じてるでしょうけど、あんまりいい感じやないやん、ナインティナイン。こんなん言うことじゃないし、でもオレ、なんかええ機会だなと思って、今日来たんですよ」

放送の中では楽屋を別々の部屋にしていることも明かされたが、実際、ナインティナインのコンビ仲は完全に冷めきっていた。2人のあいだに決定的な溝が生まれたのは、2010年に岡村が体調不良により約5カ月の長期休養をした「パッカーン事件」以降だという。

矢部も“公開説教”の中で触れている。

「2010年にパッカーンして5カ月で帰ってきて、最初の収録して、岡村さんからメールがきたのよ。『すべて笑いに』って一行。いや、違うやろうと。俺、いまだに謝られてへんで」

岡村が精神的な理由から休業したのは、2010年7月からの約5カ月。岡村本人は復帰後、「(頭が)パッカーンってなった」と振り返っている。1996年から2018年まで続いた長寿番組「めちゃ×2イケてるッ!」(フジテレビ系)をはじめ、「ぐるぐるナインティナイン」「99プラス」(日本テレビ系)、そして「ナインティナインのオールナイトニッポン」と数多くの番組出演をこなす中で、岡村の疲労はピークに達していた。

テレビ局関係者が振り返る。

「2010年4月に公開した映画『てぃだかんかん~海とサンゴと小さな奇跡~』のプロモーションもありましたが、特に大きかったのは、自分で演出やプロデュースも手掛けた一人舞台『二人前』のプレッシャーも大きかった。

『アタマがパッカーン』というのは独特の表現です。岡村さんは病名は明かしていないですが、彼自身が話していたのは、『常にパニックみたいな状態になっていた』ということでした。心の病気だと伺っています。岡村に『休みましょう』と休養を勧めたのは、他ならぬ相方の矢部でした。そうやってその年の11月27日放送の『めちゃイケ』まで、岡村は“ドクターストップ”していたわけです」

「『パッカーン事件』直後は、矢部さんはとにかく岡村さんの体調を心配して、寄り添っていました。ですが、復活を果たしてから岡村さんは変わった。“周囲の目を気にせず、ストレスから解放され、やりたいことをやる”という治療の方針もあってか、人の意見を聞かず、何を言っても馬耳東風。独りよがりな”裸の王様”になってしまったのです。

周りの空気をまるで気にせず、思ったことは何でも発言して、デリケートなテーマでもお構いなしに下ネタをぶっ込んでくる。過激な風俗ネタを番組スタッフがNGを出しても、気にも止めなくなった。本人は言いたい事をぶちまけてストレスフリーだったのだと思いますが、正直、現場はシラけることも多かった。

そんな岡村さんの独りよがりな行動や発言を矢部さんは面白く思っていなかった。『パッカーン事件』の1年後くらいから、矢部さんからは岡村さんの愚痴が出るようになりましたね。楽屋で行うスタッフの反省会で、矢部さんが『なんやねん。好き放題やって』とよく岡村さんについてのダメ出しをしていましたけど、決して本人に直接は言わないんです。

岡村さんは自分のことを言い出したら、人の話を聞こうとはしません。モメるのも嫌なので矢部さんは諦めていました。本人に直言したら、またパッカーンしてしまうかも知れないから、気づかっていたのでしょう。今回ラジオで厳しい言葉を次々とぶつけていたのは驚きましたが、これまで溜まりに溜まっていた矢部さんのホンネなのだと思いました」

矢部は番組で「俺もそうやけど、注意してくれる人が少なくなってきている」と発言したが、病み上がりの岡村の“やりたい放題”に諫言する人間はいなかった。

「ナイナイさんは吉本のなかでも大御所枠。社内でも彼らにモノを言える人はほとんど残っていない。吉本芸人でもダウンタウンさんなどは派閥も違う。言えるのは明石家さんまさんくらいでしょう。『パッカーン事件』以降、岡村さんのメンタルを気づかうあまり、番組の偉い人も腫れ物に触るような接し方になっていったのです。

岡村さんの心の支えは自分たちの力で売れたというお笑い芸人のプライドです。もともと頑固な人で決して自分の意見を曲げない。復帰以降は周囲も何も言えない、言わない。矢部さんすら注意することを諦めていました。それが世間とのズレを生んでいったのは間違いないです。はじめは少しの歪みだったのが、年々、溝は大きくなっていった」(同前)

矢部も今回、番組の中でこう指摘している。

「復帰したらみんなさらにやさしくなってんねん。それはさらにぬるま湯になってたかも。アンタはアンタで地獄を見て大変だったと思うけど、コンプレックスもあって、可哀想さんやねん」

もともと矢部にとって岡村は高校のサッカー部の先輩であり、友人だ。暴走を始めた“裸の王様”を食い止めることができるのは、矢部しかいなかった。

ラジオ番組関係者が今回の”公開説教”の経緯を明かす。

矢部は「オレ出るで!」

「炎上を受けて岡村を含め周囲は慌てふためきました。岡村自身も『なぜこんなに大きくなってしまったのか』とかなり動揺していた。そこで番組の作家から矢部に『どうしたらいいか』と相談をしたのです。すると矢部は『オレ出るで!』と自らラジオ番組出演を買って出てくれたのです。

当日は台本も打ち合わせもなく完全に矢部任せ。最終的に、自ら悪役を買って出て、番組をまとめた矢部に対して現場からは拍手喝采でした。矢部が出演していなかったらどうなっていたか……」

そもそもオールナイトニッポンもコンビで担当していたが、矢部は2014年9月に降板。その原因のひとつが岡村の暴走による、コンビ仲の悪化だった。

「それでも矢部の中で“コンビ愛”は残っていた。『このままだとナイナイが終わる』という危機感も強かったはずです。岡村はナイナイのシンボルですからね。同じ吉本で闇営業問題によって表舞台から遠のいてしまった宮迫博之の例もある。同じ轍は踏みたくないと考えたのでしょう。ナイナイが終われば、矢部自身も終わってしまいますから」(同前)

矢部は2013年にフリーアナウンサーの青木裕子(37)と結婚し、2人の子供をもうけている。この結婚、出産を機に矢部は変わっていったという。

「矢部だって最盛期の頃はワガママでふんぞり返っていましたよ。人付き合いも悪かった。スタッフを大事にし始めたのはここ2年くらいの話です。結婚して、子供ができたことも彼の中で大きかったのでしょう。子供が生まれ、めちゃイケが終わって以降、すっかり丸くなった。

最近では、矢部はスタッフに目を配ってくれます。ロケにも前乗りしてくれたり、スタッフとのごはんにも同行する。ナイナイの番組スタッフは岡村派と矢部派に分かれるのですが、圧倒的に矢部派が多いのもそのようなところからでしょう。岡村さんはスタッフの名前すら憶えてくれないですからね」(前出・元番組スタッフ)

“公開説教”の生放送が終わったのは午前3時。番組終了から5分後、まず矢部が早足で現れ、タクシーに乗り込んだ。その直後、10人前後のスタッフに囲まれながら、うつむき加減の岡村が出てきた。報道陣のストロボの閃光が岡村を照らしたが、固い表情のまま運転手付きの車の助手席に乗り込んだ。

ニッポン放送前に集まったファンからは「岡村さん頑張れー!」という大きな声援が送られた。だが、岡村はうな垂れたまま、ファンの声に応えることはなかった。

出典元:文春オンライン

 

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