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宮澤崇史の経歴がヤバイ!原作モデルを「絆のペダル」で相葉雅紀が熱演!

嵐の相葉雅紀さんが8月24日(土)よる9時ごろ放送予定の24時間テレビ42 ドラマスペシャル「絆のペダル」で主演される事が発表され、原作モデルのロードレーサー宮澤崇史さんの経歴がヤバイと話題になっています。

ロードレーサーの宮澤崇史さんは、23歳の時に母親のために自身の肝臓を移植し、その後のレースでは体力も落ち思うような結果が出せなかった宮澤崇史さんが、「人と人の絆」と努力によって、ロードレース界で華々しい活躍をするという不死鳥のようなアスリートです。

今回はそんな宮澤崇史さんと24時間テレビ42 ドラマスペシャル「絆のペダルについて、まとめてみました。

宮澤崇史を相葉雅紀が熱演

今年の24時間テレビ42 ドラマスペシャルがメインパーソナリティーの嵐・相葉雅紀さん主演で【絆のペダル】に決まりその感動の物語を熱演します。

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「絆のペダル」あらすじ

走行距離が200kmを超える、世界一過酷なスポーツとさえいわれるロードレースにおいて、第一線で活躍していた日本人ロードレーサーがいた。

名前は宮澤崇史。かつて母とは日本一になる約束を交わし、その後プロとなり母と交わした約束が叶おうとしていた矢先に、母が肝臓を患って倒れてしまう。

母が助かるには生体肝移植以外に道はないという。

その最もたる適合者が息子である崇史であったが、もしこの生体肝移植を行えばロードレーサーとしての第一線での復帰は極めて困難とされた。

母は息子を気遣い生体肝移植を行わないことも考えたが、崇史は母の命を救うため、母に肝臓を提供することを決断した。

出典:Wikipedia

 

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宮澤崇史と母(宮澤純子)

ロードレーサー宮澤崇史

3歳の頃に自身で補助輪をはずし、自転車に乗ったところから運命が始まる。

小学生の頃、母が親戚に頭を下げて借りてきたマウンテンバイクで自転車レースに参加。一人だけ、ジャージにゆるゆるのヘルメットだったが27位でゴール。

その時、母に何度も褒められたことがきっかけで“夢中になれるモノ=自転車に人生を捧げる”ことを決意をする。

高校時代から世界へ出て、メキメキと頭角を現し、日本一まであと一歩となる。

ところが、2001年に母・宮澤純子氏が肝臓を患い、生体肝移植手術のため肝臓の3分の1を提供。

母を救った上で絶対に日本一になると約束を交わし、復帰不可能と誰もが思った自転車レースの世界へもう一度「挑戦」を始めることとなる。

しかし、腹筋など筋力の低下から立っているのもやっとの状態。リハビリ生活を続ける中、レースに出ても力を発揮しきれず、ついにチームを解雇されてしまう。

それでも諦めず、母との「日本一になる」という約束を果たすため、単身イタリアへ。

41歳の現在は、チームの監督を務めながら講演の場で未来へ向けた活動をしている。

出典:ザ・テレビジョンNEWS

 

母・宮澤純子

崇史が6歳の時に夫を亡くし、公務員として働きながら女手一つで崇史と姉、2人の子供を懸命に育てていく。

忙しい合間を縫って、崇史のレースに駆け付け、息子の活躍を全力で応援し支え続けた純子。その姿は、いつしか崇史の闘い続ける「目的」となっていく。

そんな中、純子は2001年に肝臓を患い、余命1~2年という宣告を受けてしまう。

崇史はすぐに、選手生命に大きな影響があるにもかかわらず、生体肝移植を申し出たが、病気のせいで息子の夢を断ちたくないと、純子は一旦、拒否してしまう。

しかし、崇史が「手術をした上でも、日本一になる」という決意を告げたことで、移植を受け入れ、無事一命を取り留める。

その後、周囲が「不可能」と言う状況の中でも、息子の「日本一」を信じ、懸命に応援し続けた純子。

息子を信じ、未来を信じ、その絆で「夢」を支え続けた強き母。

出典:ザ・テレビジョンNEWS

 

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宮澤崇史の経歴がヤバイくらいアスリート

宮澤崇史

長野県出身の長野県長野工業高等学校卒業。

生年月日は1978年2月27日の41歳。

ニックナームはブラーヴォタカシ。

生年月日は1978年2月27日の41歳

身長は164㎝、体重は61㎏。

「主要なレースの戦績」

1997年ツール・ド・おきなわ市民200キロレースを優勝。

1998年には全日本実業団選手権・いわき大会でも優勝。

2004年に国民体育大会の個人ロードレース・成年の部優勝。

2006年・2007年ツール・ド・おきなわのチャンピオンレースを優勝。

2007年タイで行われたアジア自転車選手権・個人ロードで優勝し。

UCIアジアツアーの個人総合で3位

2008年・2009年ツール・ド・北海道では個人総合優勝。

2010年アジア選手権・個人ロード2位。全日本選手権ロードレース優勝。

2012年、チーム・サクソバンクへ移籍。

ツール・ド・ピカルディ、第1ステージ2位、総合5位。

2013年、グランプリ・ド・ドナン、総合5位

2014年チームNIPPON-デローザに移籍。

アジア競技大会ロードレース、4位。

プロとして第一線での活躍に葛藤しジャパンサイクルカップロードレースを最後に36歳で引退。

2015年にレモネード・ベルマーレ(湘南ベルマーレとロジャースが合併)の監督して就任。

 

現在選手を引退後は、レース解説や若手選手の育成など自転車の発展にかかわる仕事。

学校講演・企業講演・医療講演などの各種講演・セミナー、震災の復興支援や病気や障害と闘うサイクリストの支援などの様々なロードレース界にとって、いなくなったらヤバイくらいのカリスマです。

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宮澤崇史のTwitter


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